上は倉庫から出てきたもの。下はインターネットで検索したもの。寛永通寳亀戸銭(文銭)
診療所の古い倉庫を解体していると、何やら怪しい物体が出てきました。
きれいに洗ってみと「和同開珎」ならぬ「寛永通宝」でした。写真のものは「新寛永」と言われ、
新井白石が主張するには寛文8年(1668年)から天和3年(1683年)に19億7000万枚鋳造されたそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E6%B0%B8%E9%80%9A%E5%AF%B3
何か時代を感じますね。